八丈島の最終日...。
我々は八丈島のすぐ近くにある「八丈小島」へのツアーに向かいました。
八丈小島はかつては人が住んでいたのですが、昭和40年代に全島民が移住し無人島となりました。
そもそも昨年に引き続いて八丈島へ行ったのは、同行の離島マニア(笑)が八丈小島行を熱望していたこともきっかけでしたが、実現したのは結構運が良かったことによります。
まず、八丈小島行のツアーというのは定期的に催行されているのではなく、原則として夏・秋限定で4名以上でガイドさんに申し込む必要があるという情報でした。この時期でも出来るか問い合わせたところ、一応天候さえ良ければ可能だが、人数は4名以上集めないとダメということで、同僚夫婦2名+私だけだと足りない状況。他に申し込む人がもしいれば、ですが出発日までに集まることもなく半ばあきらめての旅行でした。
とはいえ、二日間だけでも充実した旅行でしたので最終日は適当にブラブラでもよかったのですが、大会後の懇親会場で居合わせた一人旅の方と話していて、たまたまその話をしていたら、明日は我々と同じ飛行機の第三便で帰るけど特に予定もないので、そんな話なら行かないといけない流れですね(笑)との申し出てくれて、急きょ同僚はガイドさんに打診、明日の潮の流れが問題なさそうなら行けます、とのこと!
結局、翌日の催行はOKとのことで、急展開で八丈小島行が実現しました。
翌朝、ガイドさんがお迎え、昼食と酔い止めを調達。
出港場所は八重根港。
漁船をチャーターして向かいます。
八丈小島は釣りのスポットでもあり、島への異動は漁船を手配して送ってもらうのが一般的なようです。
漁船なので普通の客船と違い乗り込みはちょっと気をつけます。
30-40分ほどの行程とのこと。 トイレは無いので先に済ませる必要があること、船がかなり揺れるということと、波しぶきがかなりかかるので我々の服装だと座る場所が限定されるという注意がありつつ乗り込みました。
行きの行程は正直しんどかったです。この時期にツアーが原則催行されない理由は波が強いということにあるようです。まさにジェットコースター並みの揺れで放り出されるんじゃないの?という感じ。
しばらくすると酔ってきました...。
30分ほどでようやく島に到着。
接岸も港などなく、がけのようなところにくっついて、タイミングを見計らって飛びわたる必要があります。かなり恐る恐るに...。
フラフラになりながらもようやく上陸。上陸地点の近くでは釣りをしている人たちもいます。
漁船はすぐ離岸して八丈島へ戻っていきました。
階段状となっているところを登っていくと草地が。
かつての集落跡です。
ここは宇津木という集落で、島の北側にはもう一つ、鳥打という集落があるそうですが陸路での行き来は困難だったそうです。
集落跡、といっても建物の残骸はすでに見当たらず、陶器のかけらや、船を引き上げておくドックなど石積みの遺構が辛うじて往時の面影を残しています。
物資の搬入はあまり頻繁に行えなかったそうです。小島での生活は本当に比べ大変厳しかったようです。
電力の供給はわずかで、水道設備もなく雨水だよりという状況だったそうです。確かに移住しないとやっていけないかんじですね。とはいえ、やはり生まれ育った地を離れがたいという人もいたそうです。
しばらく歩き、登っていくと学校跡に。15年くらい前までは建物も残っていたそうですが、今や朽ち果ててしまいました。
ここで当時の話をいろいろ聞きながら昼食、ようやく回復しました。
ここからさらに登って集落の最奥の為朝神社を目指します。
石積みの階段...ですが、木々が生い茂りヤブというがジャングルと化しています。
源為朝がここまで来た、という伝説が由来の神社です。
ちなみに島の山頂に行くのはもはやヤブをかき分けていく必要があり、困難な状況のよう、過去には遭難した人もいたとか。
以前はヤギが繁殖しすぎて山が丸裸になってしまい、駆除を進めた結果オス一頭くらいしかおらず、絶滅は時間の問題とのこと。結果、木々が生い茂り、野生の天国となりつつある模様。アホウドリの繁殖が確認されているそうで、いずれはそういう関係で訪れにくくなるかもしれませんね。
ここから引き返し、帰りの船を待ちました。
帰りは釣りの人たちも同乗。帰りの行程は潮の流れなどの関係か、穏やかでした。
この後は、帰りの便まで余裕のあったことから、ガイドさんが末吉温泉まで連れて行ってくれ、露天からの眺めを楽しむこともできました。
こうして、充実した、かなりディープな体験もした八丈島の三日間でした。
次の大会は京都マラソンです。
我々は八丈島のすぐ近くにある「八丈小島」へのツアーに向かいました。
八丈小島はかつては人が住んでいたのですが、昭和40年代に全島民が移住し無人島となりました。
そもそも昨年に引き続いて八丈島へ行ったのは、同行の離島マニア(笑)が八丈小島行を熱望していたこともきっかけでしたが、実現したのは結構運が良かったことによります。
まず、八丈小島行のツアーというのは定期的に催行されているのではなく、原則として夏・秋限定で4名以上でガイドさんに申し込む必要があるという情報でした。この時期でも出来るか問い合わせたところ、一応天候さえ良ければ可能だが、人数は4名以上集めないとダメということで、同僚夫婦2名+私だけだと足りない状況。他に申し込む人がもしいれば、ですが出発日までに集まることもなく半ばあきらめての旅行でした。
とはいえ、二日間だけでも充実した旅行でしたので最終日は適当にブラブラでもよかったのですが、大会後の懇親会場で居合わせた一人旅の方と話していて、たまたまその話をしていたら、明日は我々と同じ飛行機の第三便で帰るけど特に予定もないので、そんな話なら行かないといけない流れですね(笑)との申し出てくれて、急きょ同僚はガイドさんに打診、明日の潮の流れが問題なさそうなら行けます、とのこと!
結局、翌日の催行はOKとのことで、急展開で八丈小島行が実現しました。
翌朝、ガイドさんがお迎え、昼食と酔い止めを調達。
出港場所は八重根港。
漁船をチャーターして向かいます。
八丈小島は釣りのスポットでもあり、島への異動は漁船を手配して送ってもらうのが一般的なようです。
漁船なので普通の客船と違い乗り込みはちょっと気をつけます。
30-40分ほどの行程とのこと。 トイレは無いので先に済ませる必要があること、船がかなり揺れるということと、波しぶきがかなりかかるので我々の服装だと座る場所が限定されるという注意がありつつ乗り込みました。
行きの行程は正直しんどかったです。この時期にツアーが原則催行されない理由は波が強いということにあるようです。まさにジェットコースター並みの揺れで放り出されるんじゃないの?という感じ。
しばらくすると酔ってきました...。
30分ほどでようやく島に到着。
接岸も港などなく、がけのようなところにくっついて、タイミングを見計らって飛びわたる必要があります。かなり恐る恐るに...。
フラフラになりながらもようやく上陸。上陸地点の近くでは釣りをしている人たちもいます。
漁船はすぐ離岸して八丈島へ戻っていきました。
階段状となっているところを登っていくと草地が。
かつての集落跡です。
ここは宇津木という集落で、島の北側にはもう一つ、鳥打という集落があるそうですが陸路での行き来は困難だったそうです。
集落跡、といっても建物の残骸はすでに見当たらず、陶器のかけらや、船を引き上げておくドックなど石積みの遺構が辛うじて往時の面影を残しています。
物資の搬入はあまり頻繁に行えなかったそうです。小島での生活は本当に比べ大変厳しかったようです。
電力の供給はわずかで、水道設備もなく雨水だよりという状況だったそうです。確かに移住しないとやっていけないかんじですね。とはいえ、やはり生まれ育った地を離れがたいという人もいたそうです。
しばらく歩き、登っていくと学校跡に。15年くらい前までは建物も残っていたそうですが、今や朽ち果ててしまいました。
ここで当時の話をいろいろ聞きながら昼食、ようやく回復しました。
ここからさらに登って集落の最奥の為朝神社を目指します。
石積みの階段...ですが、木々が生い茂りヤブというがジャングルと化しています。
源為朝がここまで来た、という伝説が由来の神社です。
ちなみに島の山頂に行くのはもはやヤブをかき分けていく必要があり、困難な状況のよう、過去には遭難した人もいたとか。
以前はヤギが繁殖しすぎて山が丸裸になってしまい、駆除を進めた結果オス一頭くらいしかおらず、絶滅は時間の問題とのこと。結果、木々が生い茂り、野生の天国となりつつある模様。アホウドリの繁殖が確認されているそうで、いずれはそういう関係で訪れにくくなるかもしれませんね。
ここから引き返し、帰りの船を待ちました。
帰りは釣りの人たちも同乗。帰りの行程は潮の流れなどの関係か、穏やかでした。
この後は、帰りの便まで余裕のあったことから、ガイドさんが末吉温泉まで連れて行ってくれ、露天からの眺めを楽しむこともできました。
こうして、充実した、かなりディープな体験もした八丈島の三日間でした。
次の大会は京都マラソンです。